ルノワール「幸福な画家」後編【画家】

数多い印象派の画家の中でも、ルノワールはおそらく最も人気の高い画家の一人といって良いでしょう。少女や美しい女性を多く描き、溢れんばかりの光と幸せに満ちたその色彩。特に上流社会の人々から愛され、今でも多くの愛好家が世界中に存在する、素晴らしい画家です。

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後編

人物画の人気

ルノワールファンの画商やパトロンから風景画も定評ありましたが、肖像画や人物の中心とした作品には絶大な人気が出てきます。買い手が増えていったために画商からも注文が殺到しました。

美しき少女たち

ルノワールにはかわいらしい少女を描いた作品が多く存在します。ルノワール支持者達や支援者、仕事でタッグを組んでいた画商たちの子供や、上流階級の子供達。

また注文による作品だけではなく、名前も知れない少女像が多いのは、その題材が画家の好みを満足させたる価値をもっていたからと思われます。

《フープを持つ子供》1875年 ボルチモア美術館

《ルグラン嬢》1875年 フィラデルフィア美術館

《母と子》1874年 フリック・コレクション

《じょうろを持つ少女》1876年
ワシントン・ナショナル・アートギャラリー

《ジャンヌ・デュラン・リュエル》1876年
バーンズ財団

無邪気な少女》1876年頃 クラーク美術館

《マルト・ヴェラール》1879年 サンパウロ美術館

《ジプシーの少女》1879年 個人蔵

《フェルナンド・サーカスの少女》1879年 シカゴ美術館

《マルグリット・テレーズ(マーゴット)ヴェラール》
1879年 メトロポリタン美術館

《テレーズ・ヴェラール》1879 クラーク美術館

《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像》はユダヤ系銀行家カーン・ダンヴェールの8歳になる長女。この絵は有名ですよね。

ルノワールと言えばこの作品がよく紹介されています。肖像画の注文が増え始めたころの作品ですが、実はこの絵が有名なのは日本だけ?なんだとか。アメリカやヨーロッパでは、そんなにメジャーな絵ではないそうです。

当時発注したイレーヌの両親はこの絵を気に入らず人目には一切出さなかったという、珍しい作品でもありました。どうも古典主義的なリアルな写実描写が良かったようです。この絵は奇跡的に2次大戦を生き伸び、戦後ビュールレ財団に渡りました。

《イレーヌ・カーン・ダンヴェール》1880年
ビュールレ・コレクション

《アルジェリア衣装のフルーリー嬢》
1880年 クラーク美術館

野生の花で飾られた帽子の少女 》1880年 個人蔵

《猫と眠る少女》1880年 クラーク美術館

《ブルーのリボンをしたグランプレル嬢 》1880年 
個人蔵

《赤いリボンの少女》1880年 
個人蔵

《ポール・ヴェラールの子どもたちの研究 》1881年 クラーク美術館
《アリスとエリザベス・カーン・ダンヴェール》1881年
サンパウロ美術館
《ジャンヌ・アンリオット》1881年
個人蔵
《ポール・デュラン・リエルの娘たち》1882年
バージニア美術館

《アリーヌ・ニュネ》1883年 個人蔵

《リュシー・ヴェラール》1883年
シカゴ美術館

《ワルジュモンの子供達の午後》ヴェラールの姉妹
1884年 ベルリンアルテ国立美術館

《麦わら帽子の少女》1884年頃 Malingue gallery – Paris

《リュシー・ヴェラール》1884年 個人蔵

《小さな鞭を持つ少女》1885年 エルミタージュ美術館

《猫を抱く少女(ジュリー・マネ)》1887年 オルセー美術館

《シャルル・シャルパンティエ 》1887年 個人蔵
《草束を持つ少女》1888年 サンパウロ美術館
《マルシャル・カイユボットの子供たち》1895年 個人蔵

美しき女性モデルたち

そしてなんといっても、ルノワールの描く人物画は女性像が多いのも特徴ですね。これも名前のはっきり分る女優やブルジョワ家系の女性から、素性の分らない人物まで多数あります。大の女性好き?だったのでしょうかね。

《ジョージ・ハルトマン夫人の肖像》
1874年頃 オルセー美術館
《アームチェアの女性》1874年 デトロイト芸術研究所

《ショケ夫人》1875年 シュトゥットガルト国立美術館

《読書するショケ夫人》1876年 個人蔵

《ショケ夫人》はルノワールのパトロンであるヴィクトール・ショケの妻。

《イスコヴェスコ夫人》1877年 オードロップゴー美術館

《入浴前 》1875年 バーンズ財団

アンリオ夫人やジャンヌ・サマリーなどの女優さんたちの肖像画はルノワールの出世において大いに貢献することとなりました。

アンリオ夫人は《パリジェンヌ》《恋人たち》《野原の若い女》などモデルを務めています。

《アンリオ夫人》1876年 
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
舞台衣装のアンリエット・アンリオ
1875年 コロンビア美術館

《ピアノを弾く若い女》は印象主義的手法の頂点に達していたと言われる作品。この作品はルノワールの古典的主題でありながらを見事に描画処理しているのだそうです。

ピアノを弾く若い女》1876年 シカゴ美術館

猫を抱く女》1875年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

《女性のかぎ針編み 》1875年 クラーク美術館

ソファに座る裸婦》1876年頃 プーシキン美術館

若い女性の肖像》1876年 個人蔵

マダム・アルフォンス・ドーデ1876年頃 オルセー美術館
《ニニ・ロペス》1876年 個人蔵

髪を編む女》1876年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

音楽会にて》1876-77年頃 クラーク美術館

少女像(瞑想)》1876-77年頃 バーバー美術館

頬に手を当てている女優《ジャンヌ・サマリーの肖像》が1877年の第3回印象画展に展示されたとき、ゾラは「永遠の微笑みを浮かべる金髪の肖像は、本展覧会の成功作品」と評しています。

ジャンヌ・サマリーの肖像》1877年 プーシキン美術館

《団扇(うちわ)を持つ若い女》はジャンヌ・サマリーがモデルをつとめたそうです。実はルノワールは日本趣味はあまりなかったそうでこれは数少ない、ジャパンアイテム画。

シャルパンティエ夫人がこの頃かなりの日本趣味だったため、そのお屋敷の客間の装飾がジャポニスム一色だったという事で日本美術には食傷気味だったとか。

《団扇を持つ若い女》1879年 
個人蔵

マリー・ムーニエの肖像》1877年
ワシントン・ナショナル・ギャラリー

《プルーテ伯爵夫人の肖像》1877年 サンパウロ美術館

《若い女性とバラ》1877年 バーンズ財団

《リフレクション》1877年 個人蔵

《温室で明るい青の若い女性》1877年 個人蔵
《女性の針網》1877年 バーンズ財団
《マルゴ(マルグリット・ルグラン)の肖像》
1878年 オルセー美術館

《チューリップの花束を持った少女 》1878年 個人蔵

ヴェラール夫人》1879年頃 オルセー美術館

アルフォンシーヌ・フルネーズ》1880年頃 個人蔵
《デマルシー嬢の肖像》1882年
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
マリー=テレーズ・デュラン》1882年 クラーク美術館
扇子をもつ少女》1882年頃 個人蔵
海辺にて》1883年 メトロポリタン美術館

ハーゲン夫人》1883年頃
ワシントン・ナショナル・ギャラリー

クラピソン夫人》1883年頃 シカゴ美術館

《スザンヌ・バラドン》1885年
ワシントン・ナショナル・ギャラリー

マドレーヌ・アダム》1887年頃 個人蔵

ボニエール夫人》1889年 プティ・パレ美術館

ジュリー・マネ》1894年 個人蔵

古典主義への探求

注文制作と芸術探求との葛藤

1880年代の前半、ルノワールは各地を旅行します。経済的にも余裕が出て来た事もありますが、この頃のルノワールの注文制作は肖像画ばかりだったこともあり、そこから逃れる為だったとも言われています。彼はそんな現状からか、印象主義に対して行き詰まりを感じていたようです。

「自分の創作活動に断絶が生じるような事が起こった。私は印象主義をとことん究も、その挙げ句結論に達したのは、自分には絵を描けなければ、デッサンも描けないという事だった。要するに行き詰まってしまったのだ」

印象にばかり気をとられて、実際デッサンのような基礎的な絵が描けない自分を見つけてしまったのでしょうか…。

《クリシー広場》の都市の光景はドガ風、いわゆる印象画に見られる描写ですが、背景は印象画的、抽象的な描き方。しかし手前の女性ははっきりとしたディテールと輪郭で写実的な雰囲気を感じます。

《クリシー広場》1880年
フィッツウイリアム美術館

また、《雨傘》も右側の女性や子供は印象画風、左の男女は古典主義的な写実的なタッチです。右側部分は1881年、左側は85年に描かれました。しかもこの衣装はそれぞれその年代に流行していたものだとか。年代別でタッチの混在がみられる、変わった作品です。

《雨傘》1881-85年
ロンドン・ナショナル・ギャラリー

そんな彼は次第に、古典主義の描写に目を向けていったのでした。美術学校の頃の、基本に戻ったということなのでしょうか。

《船遊びをする人たちの昼食》は彼の友人知人。この人物の明確な輪郭線や左下から右上に向かう構図の導線はルノワールの古典主義への関心を示しています。

《船遊びをする人たちの昼食》1880-81年
フィリップス・コレクション

この作品は《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場と》同じく絵画とは「生きる喜び」を描く事だと考えていたルノワールの信念が見事に表現されています。

《テラスにて》は《船遊びをする人たちの昼食》と同じレストラン・フルネーズの2階テラス。モデルは駆出しの女優ダルロー、小さな子供はその妹と言われています。

《テラスにて》1881年 シカゴ美術研研究所
《黒衣の女たち》1881-82年 プーシキン美術館
《若い母親(ジューン・メレ)》
1881-82年 バーンズ財団

画家アングル風の描画

1881年イタリアへ。82年半ばまで北から南まで各地に滞在しました。

彼が知人に出した手紙によると、装飾壁画に興味が出て来たようです。なかでもラファエロに感銘を受けました。かつてラファエロを模倣する画家達を軽蔑していたルノワールは、ラファエロの作品を目の前にして感激してしまったのです。

「いやはや凄い絵だね。」

ラファエロを学ぶ為にイタリアに行ったのではなく、ローマでラファエロを見てその偉大さにうたれたのでした。バチカン宮の《署名の間》ヴィラ・ファルネジーナの《ガラテアの勝利》…。

帰国後取り組んだ《女性大浴図》の構成はこういったラファエロの壁画の影響が認められます。

《女性大欲図》1885-87年
フィラデルフィア美術館
《裸婦、大きい浴女たちのための習作》
1885-87年 シカゴ美術研究所

岩に座る浴女》1880年 マルモッタン美術館

《水浴をする金髪の少女》1881年 クラーク美術館

風景の中の裸婦》1883年
オランジェリー美術館

岩に座る女》1883-84年 フォッグ美術館

そんなこともあり、ニコラ・プッサンらバロック時代のフランスの画家たちから新古典主義に至る絵画に興味を持つようになりました。それからは色彩重視からデッサン重視に転向。その後1883年頃から1888年頃にかけて、写実性の強い「アングル風」の時代が訪れます。

《髪を結う女》1885年 クラーク美術館

《Standing Bather》1885年 クラーク美術館

浴後》1887年
オスロ・ナショナル・ギャラリー

髪を整える女性》1887年
エルミタージュ美術館

《髪を編む女(スザンヌ・ヴァラドン)》
1887-88年 フォッグ美術館

浴後》1888年 個人蔵

水浴する娘》1888年 個人蔵

イタリアの旅でヴェネツィア、ナポリの風景にルノワールは感激したみたいです。また、81年にはアルジェリアにも旅行し、アルジェリアの風景も描いています。

大運河、ヴェネツィア》1881年 ボストン美術館
ナポリ湾》1881年 メトロポリタン美術館
ナポリ湾・夜》1881年 クラーク美術館
ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿 1881年
クラーク美術館
《サンマルコ広場・ヴェネツィア》1881年
ミネアポリス美術館
ヴェネツィアの景色、霧1881年
クリーガー博物館
モスク1881年 個人蔵
《アルジェのエッサイの庭》1881年
オルセー美術館
《アルジェのモスク 》1882年 個人蔵
《アルジェのジャルダンエッサイ 》1882年 個人蔵

81年年末にはまた、ナポリのカプリ島へ行き、その翌年の1月にリヒャルト・ワーグナーに会い、肖像画を描いています。

《リヒャルト・ワーグナー 》1882年 オルセー美術

ダンス3部作

1882年の前半までを旅行で過ごしたルノワールは夏から秋にかけてワァルジュモンに滞在しましたが《ダンス》3部作にとりかかったのはその直後でした。

《田舎のダンス》はルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴ。《ブージヴァルのダンス》と《都会のダンス》女性モデルは17歳。後に画家になるスザンヌ・ヴァラドン。怪我をしたためにサーカスを辞め、モデルになったそうです。

《田舎のダンス》1882年 オルセー美術
《ブージヴァルのダンス》1882年 ボストン美術
《都会のダンス》1882年 オルセー美術

スザンヌ・ヴァラドンも後に画家となり、画家ユトリロを出産しますが…一説によるとルノワールはこの2人と二股をかけていたそうで、ユトリロの父親はルノワールではないかとの噂もありました。

スザンヌは17歳。アリーヌも20歳くらいだったといいます。40歳過ぎているルノワール様スゴイ…苦笑。

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