ブラッサイ「夜のパリの写真家」【写真家】

夜のパリの世界を撮った写真が大ブレイクしたブラッサイ。ハンガリー人だった彼は、同じハンガリー出身のロバート・キャパのように国外に亡命した越境者でした。

パリの夜の世界、そして表には出ないようなパリの裏社会が写された作品の数々は非常に有名ですが絵画や彫刻や版画、また著述でも知られる多才な人物です。

ブラッサイは1899年トランシルバニアのブラッショー生まれ。1924年にパリに移住、やがてカメラを手にパリを歩き始め、夜景を撮影していきます。彼のパリの写真集は話題を集め、ブラッサイの名を一躍有名にしました。

晩年は写真活動を引退し、作家と彫刻などに専念したそうです。特に有名な著作としてピカソを取材した本『ピカソとの対話』、またボナール、ダリ、マティスなど友人芸術家たちを取材し、文と写真で綴った『わが生涯の芸術家たち』には1983年、フランス文筆家協会賞が授与されています。

彼は1984年7月7日に亡くなっています。享年85歳。

ブラッサイといえば、『夜のパリ』。ここでは、写真家としての彼の人生を出版された代表的な作品を中心にご紹介します。

ムーディーで洒落た感覚を持ち合わせた、夜のパリの風景。他の写真家とはまた違った魅力の数々をご覧ください。

越境者ブラッサイ

ブラッサイの名

1899年9月9日に生まれたブラッサイ。アルメニア人の母と、パリ、ソルボンヌ大学出の仏文学教授の父の間に生まれました。本名ジュラ・ハラース。ブラッサイという名前は故郷である「ブラッショー」に由来します。

「私の生まれたブラッショーは、四方をモミの森で囲まれ、数々の塔と城壁、高い傾斜屋根の街。そこは中世都市であり、西洋の終点。数キロ先からは東洋が始まる。ビサンチンの旧帝国領であった。」

これはブラッサイ1歳の頃。一見女の子みたいですよね。カワイすぎます。

乳母に抱かれるブラッサイ

“ブラッショーから来た男”を意味する名前“ブラッサイ”は、当時ハンガリー領だったトランシルバニア(当時オーストリア=ハンガリー君主国ハンガリー王国領、現在はルーマニア領)、東カルパチュア、南カルパチュア両山脈に囲まれた広大な地域に位置する古都ブラッショーの思い出がそこには込められていたのだといいます。トランシルバニアは吸血鬼ドラキュラで有名ですね。

1917年から一年間、オーストリア=ハンガリー軍騎兵士団に入隊。第1次世界大戦後、1918年から翌年にかけブタペスト美術アカデミー、1921年からハンガリー系新聞に記事を書き生計を立てつつ一年間ベルリン・シャルロッテンブルク美術アカデミーでデッサンを主に習得しました。ベルリンではモホリ・ナギ、カンデンスキー、ココシュカ、ヴァレーズらと交流を深めています。

ブラッサイがハンガリーを後にした1920年代は、ハンガリー写真家たちが数百人という単位で国外脱出していたと言われています。ハンガリーは19世紀世紀末においてヨーロッパでは英、独、仏と並称されるほどの写真大国でした。20世紀、ハンガリー国内の写真スタジオは優に300を超えると言われるほど。アマチュア写真家の活動も盛んだったのです。

ブラッサイに直接カメラの手ほほどきをしたアンドレ・ケルテスをはじめモホリ・ナギロバート・キャパマーティン・ムンカッチなどの著名写真家はブラッサイと同じくハンガリーからの亡命者たちでした。

また、この頃ゲーテを知り、その科学・芸術理論と哲学は生涯を通じて彼の指針となり、ゲーテの言葉「事物が私をそれらの高みに徐々に引き上げてくれた」を自分のものとしたそうです。

念願のパリ移住

1924年24歳時ついに夢であったフランスへ。パリでは新聞記者として(ハンガリーとドイツ系新聞)生計をたてます。彼にとっての最大の課題はフランス語の克服と習熟だったようですね。

ブラッサイは晩年にいたるまで、言語学の専門書と文法学者の論文を飽かず研究していたと言われています。彼はフランスに帰化し、2度と故郷には帰らなかったといいますが、名前から察するに地元愛は強かったようです。

パリではベルギー出身の詩人、アンリ・ミショーアンドレ・ケルテスと知り合い、友人となりました。また、1928年にはグラシェール通りと、オーギュスト・ブランキ大通りの角にあり、ライヒェル、ティハニ、コルダら芸術家友人の出入りすつホテルに住み始めます。アレクサンダー・カルダー、ウイリアム・ヘイターとも交流があったそうです。

また、ブラッサイはハイソサエティーな社交場のちょっとした顔でもありました。記者として食べていく傍ら駆け出しの画家だった彼を、ピアニストで上流階級の女性マダムD=B(マリアンヌ・ドゥローネ・ベルヴィル)という22歳も歳の離れた女性に気に入られ、親密な関係になったとか。彼女はブラッサイの才能を見抜いていたとかで、田舎者の若僧だった彼が上流社交界に出入りできた理由はそこにあったわけですね。

写真家として

1929年、女友達から借りたカメラで初めて写真を撮ります。それがきっかけでカメラ、フォトクレンダーを購入し、自分のビジョンであるパリの街の魅惑と迷宮のような街角を写真に納めていくのでした。この時から写真家としての偽名“ブラッサイ”を名のるようになります。

この頃、画商ズボロフスキーから写真家ウジェーヌ・アジェの写真を紹介されました。彼はアジェの写真に魅了され、写真家としての生涯では理想となったそうです。

それからのブラッサイは、豪華な芸術雑誌『ミノトール』から画家や彫刻家のアトリエを撮影を依頼されパブロ・ピカソをはじめ多くの芸術家との友好を深めていく事に。また長年に渡り付き合いのあったアメリカの雑誌『ハーパーズ・バザール』との仕事ではモード関係が多かったそうですが、編集者の芸術的思考も含めて貴重な刺激になったということです。

ブラッサイの写真集1

さて、いよいよ彼の写真のご紹介。彼の代表的な作品はほとんどが写真集で見る事ができます。何といっても刊行された写真集が彼の名を有名にしたわけなんですからね。

『夜のパリ』 PARIS DE NUIT(1932)

パリのランドマーク、地下鉄、公園の恋人たち、パトロール中の警官、深夜のカフェ、公衆トイレ、夜間労働者、興行、上流階級の社交場など上層から下層までパリの最高の教育者である夜に沈む街路を愛した、ブラッサイによるドキュメンタリー写真62点が収録されています。

石畳
パリの街の屋根
凱旋門
ノートルダム寺院
セーヌ川のパリでは最も古い橋
ヨーロッパ橋から見たサン・ラザール駅
オペラ座の広場の高みからの大通りの眺め
コンティ河岸
モリス広告灯
街路
ラ・サンテ牢獄の塀
サン=ドニ運河

1924年に始まったパリでの生活。そこで彼を夢中にさせてたもの…

「夜遊びの生活というものを経験した」ブラッサイ談

ブラッサイが写真家になってわずか2,3年後の初作品集、そして実質彼のデビュー作となりました。彼の有名な写真はこの言葉に全て集約されていますね。

今も夜遊び好きの若い輩はいますが…田舎から都会へ出て来ますとありがちな、皆さんの中にもご経験がある方もおられるかと思います。パリへ出てきたブラッサイ は夜のパリが面白すぎてカメラ片手にさまよい歩いたわけです。

コンコルド宮のイルミネーション
オベリスク、噴水
メドラノ・サーカス
市の祭り
チュイルリー公園のベンチの恋人たち
売春宿スージィ館の入り口
ホテル街
自転車警官の巡回
汲取人
娼婦

日が昇ると眠りにつき、日が沈むころ起きだす。彼が写真家になった大きな理由、それはこの夜のパリにあって彼を驚かす一切のものを写真に撮ろうという強い願望があったからなのでした。なんとそれ以前のブラッサイは写真という物を無視し軽蔑さえしていたのだということなんですね。

1930年この頃からパリをくまなく歩き回り、ひとけの消えた夜景を撮り始めます。仲良しだった詩人ヘンリー・ミラーレオン・ポール・ファルグ、ジャック・プレベールなど同行したそうですが、ほとんどは彼一人で夜な夜な出て行ったらしいですよ。

モンマルトル墓地
女ホームレス
花屋
中央市場の朝2時。農家の野菜車
モンマルトルのナイトクラブで有名な70代の娼婦
市街電車のレール磨き工
パレ・ロワイヤル(現ミュゼ・デュ・ルーヴル)駅
モンパルナス、鉄道下の不気味なトンネル
新聞売りのキオスク
路面電車
光り輝くコンコルド広場
ブルボン宮前の大臣シュリイ彫像
フォリー・ベルジュールの裏舞台
フォリー・ベルジュールの裸婦たち
贅沢なリムジンの中で優雅な人々が夜の楽しみへと急ぐ
ブローニュの森
コンコルド広場のクリヨンホテル
エッフェル塔
オペラ座 プチ・リ・ブランの舞踊
オペラ座の大階段の一隅、特別講演の夜
幻の写真集『パリの悦楽』VOLUPTE’S PARIS (1934)

もともとこの本は30年代の秘密のパリの構想で『親密なパリ』というタイトルで出版される予定でした。しかし、これはブラッサイの許可なく刊行されたもので出版社の謀略とも言える画策によりタイトルを代えられ、官能と悦楽の覗き見趣味的な写真集に仕上がったものでした。これには本人も遺憾を示し、ブラッサイは正式著作から除外してしまいました。 本来出るはずだった本書は本人編集完成版として40年後に『1930年代の秘密のパリ』として復活します。

『カメラ・イン・パリ』 CAMERA IN PARIS (1949)

『カメラ・イン・パリ』はロンドンで出版された、主に昼のパリの光景を収めた写真集。ロンドンでは同名の写真展も開催されました。

パリのランドマーク的な建造物を撮影した「The Grand Sights」、パリのふとした瞬間を撮影した「Side Glimpses」、フォーリー・ベルジェールなどの舞台裏を撮影した「Famous Shows」、上流階級・庶民のナイトライフを撮影した「Nights Out」、路上で会話する人々を撮影した「Conversation Pieces」、何かを見つめる人々を撮影した「Onlookers」、そして変わらない日常の風景を撮影した「The World Goes On」 といった具合にブラッサイの捉えたパリを気の利いた構成で紹介した1冊。

この年、ブラッサイはフランス国籍を取得、その前年にはジルベルト・メルセデス・ホワイエと結婚しました。1950年にはジャン・コクトー「フェードル」の舞台装置に着手しています。

ブラッサイ セルフポートレート
ノートルダムからの、パリ サン・ジャク塔の夜景
ノートルダム寺院の悪魔とサン・ジャックの塔
白い犬がいる、モンマルトルの階段
パリ郊外のアパルトマンの中庭
ホームレス マルセイユ
フランス人よ!目を覚ませ!選挙
糸玉で遊ぶ猫
リヴィエラ
眠る人
カンカン帽をかぶった眠る人
ひとりの男が道で死んだ
マルレーヌ
風船売り
雨の日の通行人
若いダンサー
オペラ座 ホワイエ・デ・ラ・ダンス
河岸に横たわる死体


接吻
中央市場の荷運び人
ポスター貼り
モンスリー公園 街頭写真屋
絵に注目
グラン・プールバールにて ショップ・ウインドウ
シモーヌ・ド・ボーヴォワール カフェ「フロール」
プロットに興ずる人々
「プレ・カトラン」仮面舞踏会
仮面をつけた3人の女
見世物小屋「偉大なる女性」の前でコンシータの顔見せ
恋人達
サン・ジャック大通り

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