セザンヌ「感覚と本能の画家」後編【画家】

「感覚の実現」に生涯をかけたという、ポール・セザンヌ。”印象派”のグループとして活動していましたが、後に離れ、伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求します。その自己表現は従来の美術界や若い画家たちに衝撃を与え、「近代絵画の父」と呼ばれました。

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後編

真実の探求 〜感覚の実現へ〜

サロン入選の果てに

1882年、《L・A氏の肖像》という主題でサロン初当選!42歳でした。セザンヌは、今まで8回サロンに作品を提出しますがすべて落選。最初の落選から実に苦節17年。当時のサロンは、審査員が1名を指名入選させることができ、審査員のアントワーヌ・ギュメの弟子として出品し入選させてもらったそうです。

やがて……彼はサロンでの闘いが無益であったことに気づきます。公的な承認を得るより、自らが実感を持って制作していく事がはるかに重要である事に。

 

自己絵画の実現に向かって

セザンヌは自己絵画の確立に向かい、様々な手法で作品制作に取り組みました。80年代からは彼の代表作ともいえる秀作が次々に生み出されます。

構築的筆触

セザンヌは「構築的筆触」という技法を多用し始めます。

「構築的筆触」とは…斜めに平行して色調を微妙に変えつつ、リズミカルに併置された筆触で自然を再現しながら画面に自立した秩序を生み出す。

 

 

《マンシーの橋》1879-80年頃 オルセー美術館

 

《プロバンスの風景》1879-82年頃 ポーラ美術館

 

 

映像や写真にフィルター、動きやぼかしを加えるとまた違った面白さになりますね。いわば写実による忠実な絵に比べ筆のタッチで加工した世界を描き上げるようなもの、という事でしょうか。

セザンヌの絵画の真実は、印象派と同様の色彩の刺激、「彩られた感覚」と無秩序な自然に秩序ある形へと作り変えて行く「彩る感覚」の2つを感じ、観た記憶を一切忘れ構築していくという事でした。

オリジナリティある斬新な風景画や静物、人物画を筆触で表現しようと、常に考えていたんですね。

 

四角や丸いタッチによる技法

セザンヌの手法はさらに進歩していきました。モザイクタイルのようなタッチを用い、絵の具はかなり薄めで埋め尽くすことはない。レスタックの風景では遠近法をやめ、平面を平たく表現する事が目立つようになります。海は大きく滑らかになり代わって岩の描写が豊かになります。

《レスタック湾》1879年 フィラデルフィア美術館

《マルセイユの入江、レスタックからの眺め》1879-82年頃 ポーラ美術館

《レスタックの赤屋根の家》1883-85年頃 個人蔵

《レスタックとシャトー・ディフの風景》1883-85年頃 フィッツウィリアム美術館

 

「私は私の感じたままを描く。私の感動はとても強い。」

 

複数の視点

果物皿や瓶は垂直ではなくテーブルの縁はずれ込み、りんごは斜めになった長持の蓋の上に不安定に乗っています。これまでの絵画とは(動いているものも含め)静止した画家が観察して表現するものと思われていました。

マネ、ドガ、ルノワールはこっそりこの規則を破って(視点の2分化)いましたがセザンヌはあからさまにこの視点を増やし、その複数の視点から異端が生じます。このセザンヌの「不正確な表現は」作品全体に広がっていきました。

 

《かごのある静物》1888–90年頃 オルセー美術館

《りんごの籠》1890–94年頃 シカゴ美術館

《かりんごとオレンジ》1899年頃 オルセー美術館

 

父親の死と、結婚そして決別

1885年、セザンヌはセザンヌ家の所有していた別荘「ジャズ・ド・ブッファン」の小間使いファニーと親密に。それを彼の母と妹が結束して引き離したそうです。この事は厳格なセザンヌ家では大問題。それもあってか翌年、長年にわたって内縁関係にあったオルタンスと正式に結婚する事で騒動はおさまりました。

 

《セザンヌ夫人の肖像》1885-87年頃 フィラデルフィア美術館

 

《ジャ・ド・ブッファンの農場とセイヨウトチノキ》1884年 ノートン・サイモン美術館

《樹木と家》1885-86年頃 オランジュリー美術館

《ジャ・ド・ブッファン》1885-87年頃 プラハ国立美術館

《サント=ヴィクトワール山》1885-87年頃 コートールド・ギャラリー

 

同年、2人の結婚を認めた後、父親が亡くなりました。そして彼は莫大な遺産を相続します。40万フラン。当時の価値にして2.5億円だそうです。

しかしその年さらにセザンヌにとって大きな事件が起きました。少年時代からの親友小説家エミール・ゾラが、小説『制作』の中で落伍して自殺を遂げる画家を登場させますが、それはセザンヌをモデルにしたものだったのです。

この事でゾラとの友情は破綻してしまいます。この事はセザンヌの心を深く傷つけましたが……逆にセザンヌの名声は高まって行くのでした。

 

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