ルオー「20世紀の宗教画家」後編【画家】

苦悩にゆがんだ顔の娼婦や道化師を描いてきたルオー。次第にその絵はやさしさの表情に変わっていき、やがてキリストの哀しくも穏やかな表情に変わっていく…。
人生の深い悲しみを背負った、人とキリストの姿を描き続けたルオー。彼は独自の宗教画で知られる、20世紀の宗教画家です。

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後編

ルオーが試みた自然描写

生きた芸術、自然・田園風景

ルオーはまた、「人間の市」とは別に、風景画に関してもアカデミックな描き方から脱却し、独自の表現を模索し始めていきます。

生粋のパリジャンであるルオーは、14歳の頃初めて見た田園〜ブルターニュの記憶が脳裏に残っていたといいます。特に1910年代からその自然のもつダイナミズムさをカンヴァスに表現。決して自然の風景をそのまま模倣することはなく、個人体験や情熱を織り交ぜ、独特の叙情さで仕上げていきます。

《ブルターニュの風景》1905年 ヴェルサイユ(噴水)
《ベルサイユ公園の階段》
1910年 パナソニック電工汐留ミュージアム
《伝場船》1909年 グルノーブル美術館
《人物のいる風景》1910-19年 清春白樺美術館
《穫入れる農夫たち》1910-19年 個人蔵
《風景 乗馬》
1911年 パナソニック電工汐留ミュージアム
《フランスの田舎》1913年 個人蔵
《枯れ木のある風景》1913年 個人蔵
《途上で(ブルターニュの思い出)》
1913-14年 個人蔵
《ブルターニュの風景》
1915年 パナソニック電工汐留ミュージアム

再び宗教的主題へ

ルオーの結婚

1908年、ルオーは画家アンリ・ル・シダネルの妹、マルトと結婚。新婚時は決して経済的に豊かではありませんでしたが、妻マルトはピアノの講師をしながら生計を助けていきました。

そして結婚して2年後、彼は初めての個展をドゥエル画廊で開きまます。

1912年マルトがベルサイユで開いた演奏会が好評で生徒が多くとれたこともあり、家族はパリより家賃の安いヴェルサイユに転居します。長男ミッシェルも生まれ、小さな庭付きの借家で家族とのゆったりとした時間を過ごしました。

ルオーはパリ時代とは違がう優雅でロマンチックな自然描写をし、着飾った婦人の庭園での散歩やテラスでの休息など、古の貴族文化を風景の中に投影していきます。

画商との契約と、再び現れたキリスト像

1913年、画商アンブロワーズ・ヴォラールが未完成品も含め全作品を購入。そして1917年、ヴォラールと独占契約を締結しました。未完の作品も「一生かけて、完成させる」という条件でルオーから買い取ります。ルオーはこの頃から再び宗教的主題にも目を向けていきます。

《はずかしめられたキリスト》
1912年 ルクレルク・コレクション
《辱めを受けるキリスト(横顔)》
1913年 個人蔵
《磔刑》1918年 個人蔵
《郊外のキリスト》
1920年 パナソニック電工汐留ミュージアム

ヴォラールからの仕事

ヴォラールからはさらに自宅のアトリエをルオーに提供され、仕事の依頼も多くなりました。おかげで生活の安定は得られましたが、彼はとても多忙になり、毎日が制作に追われる日々。

そんな中、ヴォラールからの要請でルオーは挿絵仕事に着手します。それは版画によるもので1910年代から1920年代にかけ、単色銅版画集《ユビュおやじの再生》《ミセレーレ》を制作。そこの描かれている、熱帯。下町、戦場。これらの作品に共通するのは、圧政や貧困、戦争といった当時の社会への悲観と怒りの意識でした。

また、1926-27年、詩人シャルル・ボードレール『悪の華』の挿絵を制作しています。

そしてルオー自身による自作の詩で綴る版画集『伝説的風景』も1929年に刊行されました。これは初めて風景に聖書的な内容をもりこんだ「聖書風景」に取り組んだもの。この作品には後の「受難」という後期の大きなテーマに向かう姿勢がうかがえます。

《ユビュおやじの再生》

《ミセレーレ》

《悪の華》

《伝説的風景》

世界的名誉と独自の芸術

名誉の勲章、そして世界へ

1920年代に入るとルオーのファンも多く増え、1924年にはルオー大回顧展が開かれ、この年に彼はレジオン・ドヌール勲章を授けられます。この時ルオーは53歳。しかし、アカデミスム陣営はルオーを敵視しつづけたといいます。

この頃からの作品には、少しづつ画面にぬくもりが感じられるようになります。険しかった人物の顔が穏やかな表情へと変化していくのがわかります。

《踊り子と白い犬》1920-29年 清春白樺美術館
《サーカスの3人》
1924年 ワシントン・フィリップス・コレクション
《年老いた道化と犬》1925年 清春白樺美術館
《横顔のピエロ》1925年 埼玉県近代美術館
《見習い職人(自画像)》
1925年 パリ国立近代美術館
《裸婦》1925年頃 個人蔵
《ピエロ》1925年 ブリジストン美術館

誰にも真似できない、独自の芸術世界

やがてルオー作品の作風は「娼婦」や「踊り子」や「道化師」と「キリストの顔」が交じりあい、そして聖書の物語の「風景」が現れ、それから「花」が描かれ、そして「女の顔」が多くなり、また「キリストの顔」が繰り返されました。

初期の作品から年を重ねるにつれ、その画面の顔の表情は次第に穏やかになり、色彩も鮮やかな明るい色調へと変わっていったのも、作品性の特徴と言えるでしょう。

《女曲馬師(人形の顔)》
1925年頃 パナソニック電工汐留ミュージアム
《女曲馬師》1926年頃 ブリジストン美術館

放蕩息子

1928年には、セルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団『放蕩息子』の美術、衣装のデザインを担い、仕事の幅も広がりを見せます。

《ロシアバレエ団のダンサー》1929年

これは2013年、マリンスキー劇場新館での『放蕩息子』の舞台。衣装と背景の美術は今だ健在のようですね。

出典:フォートラベル
《聖書風景》
1929年 ワッズワース・アセネウム美術館
《「天幕」または「宴会」の下絵》
1929年頃 ワッズワース・アセネウム美術館
《放蕩息子の帰宅》
1929-39年頃 パナソニック電工汐留ミュージアム

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