ルオー「20世紀の宗教画家」前編【画家】

苦悩にゆがんだ顔の娼婦や道化師を描いてきたルオー。次第にその絵はやさしさの表情に変わっていき、やがてキリストの哀しくも穏やかな表情に変わっていく…。
人生の深い悲しみを背負った、人とキリストの姿を描き続けたルオー。彼は独自の宗教画で知られる、20世紀の宗教画家です。

1871年5月27日、パリ・コミューンの反乱による激動の最中、ルオーはそのパリで産声を上げました。彼の家は工芸職人の父親と、郵便車の主任として働いていた母親といった典型的な労働者階級の家庭でした。

少年時代から絵が上手だったルオーは14歳の時に夜は装飾美術学校へ通いながらステンドグラス職人の下で徒弟奉公を始め、5年後国立美術学校に入学しギュスターヴ・モローのもとで指導を受けます。

モローの死後、モロー美術館の初代館長に就任。そのころからサーカスの道化師や娼婦等を題材に表現主義的描写の作品を制作、また版画の制作にも取り組んでいます。

晩年は、宗教的作品「キリスト」を主題とした創作の他、多くの作品を残し、1958年パリでその生涯を終えました。

人間を見つめ悲しみや苦悩を描きだし、その表現の中に宗教的な感情を込めた画風。また敬虔なカトリック信者として信仰心が厚く、正義感が強かったジョルジュ・ルオー。

その作品と生涯ををたどります。

前編

ルオー、画家人生の始まり

ギュスターヴ・モローのアトリエで

ステンドグラスの職人の徒弟だったルオーが国立美術学校に入学したのは1890年。当初は歴史画家のエリー・ドローネの教えを受けていましたが2年後に亡くなってしまい、後任に“象徴派”ギュスターヴ・モローが教師としてルオーら学生の指導にあたります。

当時は「古典主義風景画」を教えており、ルオーは水彩やパステル、木炭などを併用した技法で描いたそうです。モローは学生たちに「美しい材質感」を獲得する事をすすめていました。ルオーの初期作品に見られる複合技法の多用はモローの教えの賜物でもあります。

淡彩によるそれらのスケッチは、「正確に表現する」ということを念願においていない、まだ学生でありながら、簡略化された線描で自由に描いています。

《ゲッセマニ》
1892年 パナソニック電工汐留ミュージアム
《石臼を廻すサムソン》
1895年 ロサンゼルス・カウンティ美術館

親愛なる師、モローの死と孤立

若い弟子たちに父親的ともいえる愛情を注いだモローは、絵画指導の他、健康上の助言や画家が直面する苦悩についても注意を与えました。中でもルオーはモローのお気に入りの弟子だったそうです。

「私に背きなさい。自分の意見を持つのです。」
「私は橋です。君たちの何人かがその上を通って行くでしょう。」

ルオーの他、20世紀を代表するアンリ・マティス、アルベルト・マルケ、アンリ・マンギャン、ルネ・ピオなどがその教え子でした。

学生時代「レンブラントの再来」と賞賛されたルオー。23歳時《博士たちの間の幼きイエス》でシュヴァーナル賞を受賞します。

《博士たちの間の幼きイエス》
1894年 ウンターリンデン美術館
《キリストの死を嘆く聖女たち》
1895年 グルノーブル美術館

しかしローマ留学の権利が与えられるローマ賞に2度挑みましたが(《キリストの死を嘆く聖女たち》)落選。審査に不満を抱いたモローは、ルオーに美術学校の退学をすすめ、その通り辞めてしまいました。その後もモローはルオーを暖かく見守り、励まし続けたといいます。

「私は君が成功することを願っているが、評価されるまでは長く時間がかかるだろう。君はますます孤立する。君の作品は重く、地味で、本質として宗教的だからだ。」

《人物のいる風景》
1897年 パナソニック電工汐留ミュージアム
《夜の風景》1897年 オルセー美術館

そして1898年、モローは亡くなりました。
作品は国家に遺贈され、その5年後モロー美術館が開館されます。

恩師の死をのり越えて

ギュスターヴ・モローという大きな師を失った後、彼の数年間は生涯もっとも苦難の時期だったそうです。安定した収入などありませんでしたから生活も困窮。

そんな時期でもルオーはひたすら描きつづけます。一時は僧院に入ってしまおうかとも思ったそうですが、「君は絵描きなのだ。たとえ他の道をゆこうと、やはり君は絵描きでいるに違いない。」師の言葉がたびたび蘇ってきたのでした。

住むところも定まらず食べる物にも事欠くような生活を送りながら仕事の手を休めなかった彼はとうとう身体を壊してしまいます。

《セーヌ川》
1901年 パナソニック電工汐留ミュージアム
《キリストと弟子たち》1901年 出光美術館
《夜景・イル・ド・フランス》1906年 出光美術館

雪の白さと、空の青

そこで彼は1902年から翌年、両親の援助でスイスとの国境エヴィアンへ転地療養にでかけました。エヴィアンで得た物はルオーにとっては大きく、一つの転機をもたらします。

アルプスの雪の白さと空の青さが新鮮な感動を与え、このころから作品には深く美しい青色が多く使われるようになったのです。また徐々に太い輪郭線が現れ、ステンドグラスの感覚が彼の絵の中に蘇っていきました。

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